今の生活空間、ファッションやダイエット、趣味などいろんな面で
実はこの「好き」という感覚がもっとも大事なんじゃないかと思うようになってきた。
これまでも、なんとなくの漠然とした理想像のようなものは抱いたりはしていた。
でも、そこを目指して何か行動できたためしがない。
SNSで小綺麗にしている部屋や人を見て瞬間的にいいな~とあこがれはしても、
そこでストップ。画面をとじればまたいつもの怠惰な自分にもどっている。
片付けのこんまりさんがよく「トキメク」なんてフレーズを使っていたが
まさに、自分に足りてなかったのはそれに近い感覚ではないだろうか。
その感覚を(応用も兼ねた)持つかどうかが、自分の理想を現実的なものにするか、
相変わらずのかなわない非現実なものにするのかをわける気がする。
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断捨離をするときにいわゆるその「トキメク」かどうかを基準にいるいらないを
判断することもそうだが、自分はそれを趣味やダイエット、暮らしのなかでの
空間でも応用できるんじゃないかなと思う。
たとえば、自身の生活空間でいえば、トイレの汚れが目立ってくるまで掃除しない
とか(オイ)。
その怠惰な感覚がどっからきてるのかといえば、最低限のことさえできればあとは
その空間がどうであれ関係ない…というような理想も何もない、ただの機能性重視な考え
に偏っていたところと思う。
もし、そこに「ずっといたいと思う空間」「落ち着く」「居心地がいい」てな具合に、
「好き」に重点をおいた思考フィルターがかかっていたら、さぼったリングができるま
でトイレ掃除を放置することはなかっただろうw。
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自分の性格上、浮き沈みがあり無気力なモードになるとホントに家の中が散らかりまくる、
掃除をさぼるといった欠点があるので、先に言ったような「好き」を念頭においた思考を
心がけていても、毎度掃除など習慣的なことを実行することはなかなか難しいのかもしれない。
でも、モチベに左右されないでできる部分の「好き」の問いかけと、
それを実行(工夫したり改善したり)することは、今後試していってみたいと思う。
大事なのは、好きという感覚を自身に問うときに、その感覚がSNSで見るような遠い理想でなく、
具体的な、想像したときにこれだ、となにげにテンションがあがるような、そういう身の丈ライン
の理想をイメージすることだと思う。
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ちょくちょく、とりとめのない思考を語ることがある自分だけども、3日坊主なことも多いので
話半分に見ていただけるとありがたいでやんす。
ではまた。